メディカルパーソン・インタビュー 看護の現場 毎月更新中!

医療法人社団 養高会 高野病院
看護部副主任
伊藤 愉崇さん
イトウ ユタカ
笑顔になってもらえる
看護をこれからもずっと

 1978年いわき市四倉町生まれ。いわき准看護学校を卒業後、四倉病院を経て高野病院へ入職。前の職場から精神科病棟に長く勤務してきたが、2011年の東日本大震災を機に療養病棟に配属された。同年より正看護師の資格取得のために働きながら2年間通信課程で学んだ。今年から看護部副主任を務めている。

少しずつ見えてきた「看護師だからできること」

 高校を卒業する時は「看護師になる」という選択肢はまったくなくて、コンピュータの専門学校に進学しました。「将来性があるはずだから」と選択したのですが、私には向いていない分野だったのです。入学後、かなり早い時点でそれに気づいたのですが、お金を出してくれる親に申し訳なくて、なんとか卒業だけはしました。その後、親の勧めで働きながら准看護学校に通うことになりました。介護職だった母親は医療分野の雰囲気も知っていたので「人と接するのが好きだから、看護が向いているのでは?」と考えたのだと思います。

 確かに、私は10年以上看護職を続けてきましたが、これまで辛いとか嫌だと思ったことはなくて、「やりがいのある仕事だな」と思いながら現在に至っています。働き始めたばかりの頃、初めて患者さんの死に向き合ったときは、「医師と違ってできることが少ない」無力な存在だと思ったのですが、長く続けるうちに看護師だからできることは多いと気づくようになりました。

 患者さんが「その人らしく」過ごせるように日々寄り添うことは、看護師ならではの仕事です。今は、患者さんに「笑顔になってもらえる」看護を日々心掛けています。療養病棟には、意思表示が難しい方もいますが、最期まで耳は聞こえている人が多いので「おはようございます!」と明るい声で挨拶し、できるだけコミュニケーションをたくさん取るようにします。

着実にできることをこなして、勉強を続けたい

 「正看護師の資格を取らないか」と上司に声をかけられたのは33歳の時でした。業務内容はほとんど変わらないので「このまま准看護師でもいいかな」と思っていたのですが、職場の先輩方が資格取得に向けて懸命に勉強をしている姿を見て、私も挑戦することにしました。通信教育のスクーリングで「これからは、あなたが職場を引っ張っていく立場になるんだよ」と講師の方に言われ、気持ちが引き締まったのを覚えています。今年から副主任という立場になって、責任が増えました。正直、看護管理者として何から手をつけていいのかまだ良く分かっていません。プレッシャーに押しつぶされないように、自分ができることを着実にこなして増やしていくつもりです。まずは、研修を積極的に受けさせてもらって、勉強していかなければならないと思っています。

 どんな仕事にも向き不向きがあります。看護師の仕事も「好きじゃないと続けられない」のは事実で、誰にでも勧められるわけではありません。現実的に看護師に向いているのは、排泄ケアに抵抗がない人、そして裏表がない性格の人かなと私は思います。患者さんは本当によく看護師を観察していて、信頼に値する人かどうか見極めています。私はこれからも、患者さんの心に寄り添いながら、看護の仕事を続けて行きたいと思います。

お話を伺って

 伊藤さんのトレードマークは、明るめにカラーリングした髪。取材で向き合うと、一つひとつ言葉を選び、真剣に質問に答えてくれる姿のギャップに驚きました。

 3年前に奥様を亡くし、二人の子どもを育てるシングルファザーでもある伊藤さん。「急なことだったので目の前が真っ暗になりました。私がここまでショックを受けているんだから、母親を亡くした子どもたちの心の内は辛すぎて想像することもできない」と話していました。病院には事情を話して夜勤を外してもらい、土日は休めるようにシフトを入れてもらっているそうです。

 人手不足が続くなかでも、働く人たちがお互いに助け合う職場は明るい雰囲気で、人間味にあふれたスタッフたちによるあたたかな看護が院内でされていました。(ライター 齋藤真弓)

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