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医療法人社団 養高会 高野病院
精神科病棟 看護部主任
鈴木 幸子さん
スズキ サチコ
看護で次へつなぎたい
高野先生が残した言葉

いわき市出身。個人病院に勤務しながら、いわき准看護学校で学ぶ。仙台市内の国立病院勤務を経て出産のために退職。1991年に高野病院で看護職としてのキャリアを再開した。東日本大震災のあった日は、いわき市内の病院に入院していたが「高野病院の患者さんが気がかりで仕方なかった」という。

看護観に大きな影響を与えた高野前院長

 『高野病院』に勤務して27年目になります。長く療養型病棟に勤務してきたのですが、昨年7月に精神科に移動になりました。ここでは新人なので、毎日が勉強です。私の看護観は、昨年末に亡くなった高野英男元院長の影響を受けています。精神科の専門医だった高野先生は、どんな時も「患者さんの人間性」を尊重されていました。回診の時には、ベッドにいる患者さんと目線が合うように膝を折って姿勢を低くしていましたし、穏やかな笑顔を欠かすことがありませんでした。一方で、職員に対しては厳しい指導をされることもありました。今でも心に残っているのは、「患者さんを必ず“〜〜さん”と呼ぶように」とおっしゃっていたことです。入院期間が長くなると、親しみを込めて患者さんを“〜〜ちゃん”と呼ぶようになる看護職がいます。そんな時、高野先生は「この方たちは今、病気で入院しているけれども人生の大先輩です。それなのに、ちゃん付けはおかしいでしょう?」と、きっぱり伝え続けていらっしゃいました。今になって思うと、あらゆる人を大事にし続ける高野先生の人生観がにじみ出た言葉だったと思います。

「自分が間違っていないなら、堂々としていなさい」

 人が尊重し合うために「言葉」はとても大事です。以前、私自身が職場の人間関係に悩んで、高野先生に助言をいただいたことがありました。その時、まず言われたのが「いろんな考えの人がいるから、自分が間違っていないと思うなら堂々と仕事をしなさい」ということでした。さらに「〝言葉のあや〟というものがあるから、誤解されないよう気をつければ、必ずあなたのことを分かってもらえるはずですよ」と言われました。そのアドバイスを実践することで、いつしか仕事の悩みが消えていきました。私は看護職としても一人の人としても、先生に育ててもらい、助けられてきました。だからこそ、亡くなった時の喪失感はとても大きく「看護職を続けていけるだろうか」とさえ感じました。それでも、しばらくすると元院長が身を削って続けてきた「地域医療」を通して、患者さんを守っていくことが私にできる唯一の恩返しだと思うようになりました。定年まであと3年ですが、働けるうちは微力ながら高野先生の思いをつないでいくつもりです。(写真・看護部介護部統括 井上幸子さんと)

お話を伺って

 鈴木さんは、今とても「反省している」ことがあるそうです。それは「看護師の資格を取らなかったこと」。病院の勧めで資格を取るチャンスがあったのにもかかわらず「タイミングを逃したまま」現在に至っています。「震災の前までは、准看護師の仕事に、それなりに満足していたんですね」と鈴木さんは話します。福島第一原発から22キロの位置にある高野病院は、双葉郡から通勤していた看護職が多く、震災後は一気に人手不足になりました。県内外から支援にかけつけた医療スタッフと働くようになった鈴木さんは、外から来た人たちの圧倒的な知識にふれる機会が増えるようになり「学ぶことの価値、必要性を改めて感じた」と言います。そんなご自身の経験を踏まえ、最近は「准看護師の人は、ぜひ看護師の勉強をしてほしい」と伝えているそうです。高野病院には「准看護師から看護師への移行通信教育」など、各種の奨学金制度が設けられていることから、「関心のある方はぜひ病院に問い合わせてみてほしい」と話していました。(ライター齋藤真弓)

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