チームワークを生かして働きやすい職場づくりを
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医療法人 伸裕会 渡辺病院 看護部長
高野 学さん
タカノ マナブ
Profile
南相馬市小高区出身。磐城共立高等看護学院を卒業後、渡辺病院に就職。手術室、病棟、ICU勤務を経て、40歳から看護部長。現在も手術室の業務を担当し、後進の指導にあたっている。
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2014年3月から新地町で再スタート
当院は、2014年3月に南相馬市原町区から新地町に移転しました。移転の理由は複数ありますが、大きくは3つ。まずは「新地町の復興計画に基づく誘致」があったこと。次に、原発事故による人口減少が進む中で病院を存続していくための「経営的な視点」もありました。それから「人材確保」です。新地町は、東京電力福島第一原子力発電所から60キロ離れているので、原発事故で避難した職員が職場に戻ってきてくれるかもしれないという期待がありました。また、仙台市方面からの人材が確保できるだろうという見込みもありました。
2011年3月11日時点で、看護部にいたスタッフは83人。その時、入院患者さんは約150人いましたが、3月18日までに全員避難を済ませ、多くの職員も県内外に避難しました。私自身も妻と子どもがいる新潟県三条市に一旦避難したのですが、「4月4日に外来診療を再開する」という知らせを聞き単身で戻ってきました。
その日揃った看護師は私を含めて18人。毎月数人ずつは戻ってきていたのですが、時間が経過するほどに子どもが避難先での生活に馴染んでしまって、「戻ることをためらう」人も少なくない状況です。
現在、働いている看護師は56名。新地町に移転してから入職した職員が過半数になりました。入院設備は140床、3病棟ありますが、稼働しているのは59床で1病棟のみです。看護師の人数だけ見ると、2病棟開けることができるのですが、夜勤をできるスタッフが少ないこともあり、今のところは見合わせています。
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働く人の意志を尊重した数々の取り組み
看護師不足を補う手立てとして、最近になって始めたのが「夜勤専従」の導入です。看護協会の規定に沿って月144時間、つまり18日間以内で夜勤のみのシフトで入ってもらうスタッフを募りました。
あくまでも本人の希望で「やりたい」と申し出た中から、体調面・家庭環境・スキルを考慮して選定します。休みも多いですし、手当が付きますので希望する人も少なくありません。交代制よりも生活のリズムがつかみやすいというメリットもあります。申し出るのは、ある程度の経験があって、独身の看護師が多いです。新人の方に「夜勤専従」をお任せすることはないですが、就職希望の学生さんで興味を持ってくださる方もいます。
私が看護部長になってから、配属についても本人の希望を必ず取り入れてきました。当院には、外来・病棟・手術室の3部門ありますが、無理に希望以外の場所に配属しても続かないと実感しているからです。
その代わり、配属前には必ず研修ですべての部門を経験してもらいます。一通りの業務内容を把握してもらって、必要があれば応援し合うのです。大切なのは「チームワーク」です。病院の玄関を入ってきた患者さんへは、部門を超えてすべてのスタッフが一緒になって治療・医療をしていくんだということをことあるごとに伝えて意識付けしています。
現実的に人数が足りないからこそ、役割を果たしながら助け合う職場づくりが必要です。実際に、「お互い様」の意識が浸透することで当院では「有給休暇の完全取得」や「業務扱いの院外研修派遣」が実現できるようになりました。院外研修は、本人の希望があれば年に何度でも受けることができますし、交通費や参加費も病院が全額負担しています。学ぶことで一人ひとりのモチベーションが上がり、周囲にも良い波及効果が生まれてきています。これからも「働きやすい職場」の整備を着実に進め、よりよい看護の実践につなげていきたいと思っています。
取材者の感想
病棟勤務だった若い頃、「自分が清拭などを担当すると〝恥ずかしい〟とおっしゃる女性の患者さんもいて、自分が担当することが申し訳ない気持ちになったこともあります」と高野部長。そこで、患者さんの心理的な負担軽減のために、男性の患者さんを主に担当していたこともあったそうです。「その代わりと言ってはなんですが、力仕事だったり機械の扱いなどは得意なので、そちらを積極的に引き受けるようにしてきました」。現在病院には5人の男性看護師がいて、来年春に新卒者が一人増え6人になる予定です。
これまでの経験から実感してきたのは、できる人ができることを担う「チームワーク」の大切さです。「子どもの具合が悪い時は、忙しい日でも休んでいい」というのが高野部長の持論です。「家族の協力も必要ですが、できるだけ子どもは、お母さんについていてほしいのです」。今は、毎日誰かが「子どもを理由に」職場を休んでいるような状態ですが、フォローする側も「自分も休むことがあるから、今日はその人の分も働く」という意識が広がっているそうです。高野部長のお子さん3人と奥様は、現在も新潟県三条市で避難生活を送っています。5年前、単身で戻る時に「自分は病院の患者さんとスタッフを守るから、あなたは子どもを守ってほしい」と奥様に伝えてきたそうです。「今は、自分が子育てできていないからこそ、職場のスタッフには子どものそばにいてあげてほしいと思っています」。
採用に関しては、「ここで働きたいと来てくれた看護師は、基本的に全員迎え入れ、育てる」ことを続けています。性別だけではなく、一人ひとりの多様性を仕事に生かそうとする高野部長の姿勢が伝わってきました。
ライター